私は、摂食障害にならずに、すんだのでしょうか?
2017.09.10 17:17|過食嘔吐の気持ち|
マチルダです。
摂食障害になって、16年になります。
過食嘔吐を繰り返し、28kgまでストーンと体重が落ちました。
世の中で言われているように、母親との関係が大きな原因です。
子どもの頃から母親とのコミュニケーションがうまくいかず、
ヒステリックな母親の八つ当たりの犠牲になり、何とかご機嫌を取りながら、
縮こまって生きることしかできなかった。
私が摂食障害になったのは、26歳ですが、
とても苦しかった思春期といわれる時期は、
親元を離れるための受験勉強に没頭することで、
何とか持ちこたえることが、できたんだと思っています。
とても不安定でしたし、
チョコレート中毒で、毎朝、毎晩、食べずにはいられませんでした。
友達も欲しくなかったし、引きこもりもしました。
ただ、勉強をしていれば、母親は機嫌が良かったし、
「それなりの大学」 を目指すことが、母親の希望でもありましたから、
受験勉強をなんとか頑張って、「それなりの大学」 に合格して、
合格すれば、晴れて一人暮らし✨
と、夢を抱き、そのために必死でした。
実家を離れることができる!
これは、私にとって、とてもとても重要なことでした。
新しい人生が始まる✨
そんな感じに思っていました。
なので、思春期に、とても不安定ながらも、
摂食障害にならずに、
もちこたえられたんだと思います。
大学生になり、一人暮らしを始めた私は、
何か重たいものから解放され、とても充実した生活を送りました。
大学は、毎日、実験があり、帰宅してからレポートを書く、
と忙しいスケジュールでしたが、それを自分でこなしていく楽しみを感じていました。
もし、そのまま、実家を離れたまま、生活していたら、
どうだったでしょうか?
????????????
私は、摂食障害にならずに、すんだのでしょうか?
就職活動をするなかで、私は、実家に戻ることを選択してしまいました。
どうして、この選択をしたのか?
今でも、よくわかりません。
実家に戻ったところで、母親はほとんど変わっていませんでした。
一方で、一人暮らしを4年間した私は、すっかり変わっていましたし、
当時 22歳の私は、体力もあるし、何でもできる!
くらいの勢いでしたから、
仕事はバリバリやりたいし、とことん遊びたい。
寝なくたって、平気。
休みの日に家にいるなんて、考えられない。
こんな感じでした。
母親は、それが気に食わない。
私に対して、イラついているのがわかるから、
私はさらに寄り付かない。
家にいる時間は、どんどん減る。
当たり前だよね。
子どもの時と違って、イヤだったら、外で過ごすでしょう?
っそうやって、うまく母親と距離を置いて、
自分の好きなことに没頭することができてるうちは、
なんとかなっていたんですけどね。
でも、結局のところ、問題解決はしてないし、
母親との関係は悪いので、その影響は少しずつ出てきます。
結局、仕事が忙しくなったり、ストレスを感じることが多くなり、
過食嘔吐をするようになりました。
こうすることでしか、私の中に溜まったモノを、吐き出すことができませんでした。
「母親への復讐」 をテーマに書いた記事です。
→→→母親への復讐
→→→ヒステリックな母と、トイレの引きこもり
→→→ヒステリックな母と私の隠れ家
→→→チンプンカンプンな母
よかったら、お読みくださいね。
ランキング参加してます!




摂食障害になって、16年になります。
過食嘔吐を繰り返し、28kgまでストーンと体重が落ちました。
世の中で言われているように、母親との関係が大きな原因です。
子どもの頃から母親とのコミュニケーションがうまくいかず、
ヒステリックな母親の八つ当たりの犠牲になり、何とかご機嫌を取りながら、
縮こまって生きることしかできなかった。
私が摂食障害になったのは、26歳ですが、
とても苦しかった思春期といわれる時期は、
親元を離れるための受験勉強に没頭することで、
何とか持ちこたえることが、できたんだと思っています。
とても不安定でしたし、
チョコレート中毒で、毎朝、毎晩、食べずにはいられませんでした。
友達も欲しくなかったし、引きこもりもしました。
ただ、勉強をしていれば、母親は機嫌が良かったし、
「それなりの大学」 を目指すことが、母親の希望でもありましたから、
受験勉強をなんとか頑張って、「それなりの大学」 に合格して、
合格すれば、晴れて一人暮らし✨
と、夢を抱き、そのために必死でした。
実家を離れることができる!
これは、私にとって、とてもとても重要なことでした。
新しい人生が始まる✨
そんな感じに思っていました。
なので、思春期に、とても不安定ながらも、
摂食障害にならずに、
もちこたえられたんだと思います。
大学生になり、一人暮らしを始めた私は、
何か重たいものから解放され、とても充実した生活を送りました。
大学は、毎日、実験があり、帰宅してからレポートを書く、
と忙しいスケジュールでしたが、それを自分でこなしていく楽しみを感じていました。
もし、そのまま、実家を離れたまま、生活していたら、
どうだったでしょうか?
????????????
私は、摂食障害にならずに、すんだのでしょうか?
就職活動をするなかで、私は、実家に戻ることを選択してしまいました。
どうして、この選択をしたのか?
今でも、よくわかりません。
実家に戻ったところで、母親はほとんど変わっていませんでした。
一方で、一人暮らしを4年間した私は、すっかり変わっていましたし、
当時 22歳の私は、体力もあるし、何でもできる!
くらいの勢いでしたから、
仕事はバリバリやりたいし、とことん遊びたい。
寝なくたって、平気。
休みの日に家にいるなんて、考えられない。
こんな感じでした。
母親は、それが気に食わない。
私に対して、イラついているのがわかるから、
私はさらに寄り付かない。
家にいる時間は、どんどん減る。
当たり前だよね。
子どもの時と違って、イヤだったら、外で過ごすでしょう?
っそうやって、うまく母親と距離を置いて、
自分の好きなことに没頭することができてるうちは、
なんとかなっていたんですけどね。
でも、結局のところ、問題解決はしてないし、
母親との関係は悪いので、その影響は少しずつ出てきます。
結局、仕事が忙しくなったり、ストレスを感じることが多くなり、
過食嘔吐をするようになりました。
こうすることでしか、私の中に溜まったモノを、吐き出すことができませんでした。
「母親への復讐」 をテーマに書いた記事です。
→→→母親への復讐
→→→ヒステリックな母と、トイレの引きこもり
→→→ヒステリックな母と私の隠れ家
→→→チンプンカンプンな母
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