つづき 「食べない心と親の心」 読みました。
2017.08.19 14:06|過食嘔吐の気持ち|
マチルダです。
こんにちは。
昨日の続きを。
昨日の記事 →→→「食べない心と親の心」 読みました。
「食べない心と親の心」
p.133
摂食障害を回復させる薬は存在しない。
症状が進んでくると、精神科領域と思われる訴えが多くなる。
被害感情が強くなり、他の人に対し攻撃的になる。
目の前で起きていることに対して勘違いや誤解が多く、
話を順序立てて積み上げていくことができない。
すべてに悲観的な気持ちしか持てなくなる。
気分がコロコロ変わっていく。
普通の人が持っている感情の動きとはかなり外れた言動や考えが増えていく。
例えば、1年も前の、取るに足らない出来事を、恨みに思ってずっと執着することもある。
悲観的な反面、何か一つでもできることがあると、自分は天才だと思い込む。
精神科領域のさらに根深い心の病気へと進んでいく。
p.139
拒食で栄養失調になり、痩せ細っていくのは、自殺願望の一種。
死にたいとは言わないけれど、
痩せ細っていくうちに、死んでしまったらいいな、と思っている。
何も希望が持てないし、何のために生きているのかもわからない。
生きていたくない。
自殺するというのも大袈裟なので、
できたら、スーッと消えるように、誰も知らないうちに、この世から姿を消したい。
どこまでも 「無私」の境地を生きてしまう。
そして、気が付くと、自分の中に何もないことに驚く。
自分がどこまでも 「空っぽ」 であることを痛感し、
それ以上前に進めないほど生きる気力が萎えてしまう。
深い自己喪失感を感じると同時に、
これから生きていく理由がないことに打ちのめされている。
p.168
一番望んでいることは、「苦しさをわかってほしい」 ということ。
そして、この「苦しさ」 というのは、理屈では説明できない種類のもの。
心に深い傷を負った者でなければ、わかることのできない痛み。
心に深い傷を負ったことのない人は、その痛みを同じ深さで理解することはできない。
誰にも言えずに、胸の奥にしまってきた心配や不安が、
降り積もるように折り重なっていき、
いつの間にか、取り返しがつかないほど人生が進んでしまい、
逆戻りもできなければ、先に進むこともできなくなってしまった焦りや深い喪失感を、
元気いっぱいの人に、どうわかってもらったらいいのでしょうか?
励まされても困ります。
もう、精一杯に努力はしてきたのです。
それでダメだった、という、敗北感に打ちのめされている。
普通の人にはわからない、ということを理解してほしい。
生きる希望をなくしてしまった理由は、
これまで生きてきて、本当に楽しいと感じたことがなかったから。
苦しさを抱えてしまった子どもは、もう 5~6歳の頃から周囲に気を使っていて、
その頃からずっと、自分が感じるままの楽しさで心を満たした経験がありません。
教師に気を遣い、友人関係に気を遣い、家族の関係に気を遣い、
いつも自分を無にしてきた。
自分が楽しむどころか、その場その場で、一番強い人を怒らせないように、
気配りをしてきた。
発病するころには、それに疲れ果て、そういう関係の全てがイヤになる。
どうしても生きていかなくてはならないのなら、
人との関わりを極力立ちたいと思うようになる。
何の楽しみもなかった半生で、唯一、何もかも忘れることのできる時間が、
過食していた時間。
過食嘔吐をやめてしまうと、苦しいだけの人生になってしまう。
治っても、ここまで生きてきたような苦しい人生がこの先も続くのなら、
治らなくてもいいと思うようになる。
----------------------------------
私自身、当てはまる部分が多く、記事を書きながら、涙しています。
明日は、ストレスをなくし、回復していくまでを、まとめます。
ランキング参加してます!




こんにちは。
昨日の続きを。
昨日の記事 →→→「食べない心と親の心」 読みました。
「食べない心と親の心」
p.133
摂食障害を回復させる薬は存在しない。
症状が進んでくると、精神科領域と思われる訴えが多くなる。
被害感情が強くなり、他の人に対し攻撃的になる。
目の前で起きていることに対して勘違いや誤解が多く、
話を順序立てて積み上げていくことができない。
すべてに悲観的な気持ちしか持てなくなる。
気分がコロコロ変わっていく。
普通の人が持っている感情の動きとはかなり外れた言動や考えが増えていく。
例えば、1年も前の、取るに足らない出来事を、恨みに思ってずっと執着することもある。
悲観的な反面、何か一つでもできることがあると、自分は天才だと思い込む。
精神科領域のさらに根深い心の病気へと進んでいく。
p.139
拒食で栄養失調になり、痩せ細っていくのは、自殺願望の一種。
死にたいとは言わないけれど、
痩せ細っていくうちに、死んでしまったらいいな、と思っている。
何も希望が持てないし、何のために生きているのかもわからない。
生きていたくない。
自殺するというのも大袈裟なので、
できたら、スーッと消えるように、誰も知らないうちに、この世から姿を消したい。
どこまでも 「無私」の境地を生きてしまう。
そして、気が付くと、自分の中に何もないことに驚く。
自分がどこまでも 「空っぽ」 であることを痛感し、
それ以上前に進めないほど生きる気力が萎えてしまう。
深い自己喪失感を感じると同時に、
これから生きていく理由がないことに打ちのめされている。
p.168
一番望んでいることは、「苦しさをわかってほしい」 ということ。
そして、この「苦しさ」 というのは、理屈では説明できない種類のもの。
心に深い傷を負った者でなければ、わかることのできない痛み。
心に深い傷を負ったことのない人は、その痛みを同じ深さで理解することはできない。
誰にも言えずに、胸の奥にしまってきた心配や不安が、
降り積もるように折り重なっていき、
いつの間にか、取り返しがつかないほど人生が進んでしまい、
逆戻りもできなければ、先に進むこともできなくなってしまった焦りや深い喪失感を、
元気いっぱいの人に、どうわかってもらったらいいのでしょうか?
励まされても困ります。
もう、精一杯に努力はしてきたのです。
それでダメだった、という、敗北感に打ちのめされている。
普通の人にはわからない、ということを理解してほしい。
生きる希望をなくしてしまった理由は、
これまで生きてきて、本当に楽しいと感じたことがなかったから。
苦しさを抱えてしまった子どもは、もう 5~6歳の頃から周囲に気を使っていて、
その頃からずっと、自分が感じるままの楽しさで心を満たした経験がありません。
教師に気を遣い、友人関係に気を遣い、家族の関係に気を遣い、
いつも自分を無にしてきた。
自分が楽しむどころか、その場その場で、一番強い人を怒らせないように、
気配りをしてきた。
発病するころには、それに疲れ果て、そういう関係の全てがイヤになる。
どうしても生きていかなくてはならないのなら、
人との関わりを極力立ちたいと思うようになる。
何の楽しみもなかった半生で、唯一、何もかも忘れることのできる時間が、
過食していた時間。
過食嘔吐をやめてしまうと、苦しいだけの人生になってしまう。
治っても、ここまで生きてきたような苦しい人生がこの先も続くのなら、
治らなくてもいいと思うようになる。
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私自身、当てはまる部分が多く、記事を書きながら、涙しています。
明日は、ストレスをなくし、回復していくまでを、まとめます。
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