「食べない心と親の心」 読みました。
2017.08.18 19:50|過食嘔吐の気持ち|
マチルダです。
摂食障害になって、16年になります。
過食嘔吐を繰り返し、28kgまでストーンと体重が落ちました。
これって、やばいかも・・・・・
と思いながらも、どうしていいかわからずに、
ふらふらしながら、摂食障害の本を探しました。
ですが、身体はふらふらだし、本を読もうとしても、字を追うことが大変で。
なんとなく、本のタイトルと目次を見ることを繰り返していました。
最近は、少し栄養状態が改善されたためか?
情報を得ようと必死になっているためか?
よくわかりませんが、本が少しずつ読めるようになってきました。
2週間ほど前、「食べない心と親の心」 という本をたまたま見かけて、購入してみました。
共感できる部分があり、じっくりと読みました。
自分の記録として、書いてみようと思います。
「食べない心と親の心」
摂食障害という病気は、ともするとその人の人生を破壊してしまう。
人生の深い歓び、生き方は、収入や職業で決まるものではない。
しかし、高収入を得られるポジションについた方が、
より大きな幸せを得られるような、そんな幻想を多くの人が抱いてしまう。
親は子の幸せを願い、競争のようにして子の教育に取り組む。
親の期待を担った子どもが、期待に応えようとすると、
延々と努力をし続け、競争に勝ち続けなくてはならない。
しかし、完全に結果が報われることはない。
学歴、習い事、就職、出世、それぞれ最高の結果を出し続けることは不可能である。
妥協するたびに、コンプレックスを抱えることになる。
もう少し頑張れば、幸せになれたのに、目標を達成できなかったという挫折感。
そして、この挫折感を経験した世代が親となった時、さらに厳しい競争へ発展する。
次の世代の子育てで裏返しとなり、
「自分は失敗したが、我が子こそ立派に育てよう」 と。
ここで、いくつものコンプレックスを持ち、自我が欠落した者どうしが、結婚したとする。
これが、追摂食障害の女性を多く生み出している。(2000年以降)
コンプレックスをバネに、自分の二の舞にだけはさせまいという勢いで 子育てにのめり込む。
「あなたにだけは、幸せになってほしい。」
p.38
親の期待を受け過ぎている子どもは、
過程が休まる場所ではなくなってしまう。
子どもをむしばむ場所になってしまう。
親の気持ちにコンプレックスが潜んでいることを読み取っている。
傷ついた時期から発症までの期間があまりにも長いので、
なかなか原因と発症を関連付けることができない。
一見、矛盾する拒食と過食という行為が交互に表れたりするのは、
それが、本人の意思とすると説明ができない。
本能の暴走であるから、本人の意思ではコントロールができない。
摂食障害に陥る女性は、みな真面目です。
完璧でなければ愛されない、と思うことは、
少しの失敗も許せず、自分を追い詰めていく一因になる。
p.88
子どもは、親ではなく、自分を責める。
必ずしも大きなアクシデントが心の傷をつくるとは限らない。
日々の生活の中で、じわりじわり傷ついていく。
子どもを追いつめる 「不幸せ」 な母親。
親は、「娘に関して、何もトラブルはなかった」
「平穏な過程であった」
「原因となるようなことが思い当たらない」 という。
母親の何でもない、普通の行動が、
(不満に思ってたり、ある種の諦めに似た寂しさ)
子どもには、受け入れられないことがある。
子どもは、敏感に感じ取り、自分を責め、否定する。
家族と自在に心の交流を交わした経験を持たない子は、
成人しても、人と深い関係を結ぶことが難しくなる。
同じ家庭で育っても、発症する子、しない子がいる。
これは、感受性の差である。
発症する子は、ナイーブで、過敏に色々な気配や気持ちを感じ取り、あれこれ気を回す。
鋭いと、ちょっとした母親の表情の変化を気にしたり、両親の関係を気にしたりして、
本来する必要のない心配を抱え込む。
p.102
摂食障害は、生きにくさの病気。
孤独。←←← 深い孤独。
空っぽ。
生きている意味もわからない。
こんな虚しさを、ずっと抱え続けてきて、
いつかそれが満たされる日が来ると信じて、大人になった。
しかし、大人になってみると、ますます虚しくなるばかり。
誰にもわかってもらえない。
誰にどう伝えていいかもわからない。
絶望が広がるばかり。
取り返しがつかない人生を生きているという、焦り。
制御できない過食嘔吐に振り回されながら、
なんとか自分の生きる道を探そうとしても、
生きる目的も意味もなかなか見出すことができない。
結果、生きる意欲をなくす。
生活が崩れ、
人格が歪み、
社会から落後していく。
「食べる」 「食べない」 ことに、こだわりのある依存症。
自分の中で処理できない気持ちの逃がし先が、依存する行為。
理性ではコントロールできない衝動。
自覚しにくい無益なこだわり。
生活すべてが、依存とこだわりで成り立っているくらい、
生活に柔軟性がない。
精神的に追い詰められているため、
こだわるものを次々に見つけて自分の周囲を満たすことで安心感を得る。
これが、どこまでいってもつづく・・・・・
いっそう、混乱を極めていく。
ここに、本人の自覚はない。
発症する前からずっと、周囲に気を使い、怒らせないようにしてきた。
精神的には、限界まで疲れ果てている。
なので、認知の歪みが起きてしまっている。
目の前で起きている出来事や、人の気持ちを、正しく受け止めることができない。
事実を歪め、自分が被害者となるストーリーをつくり、それを確かな事実と信じてしまう。
そのため、人間関係をつくるのが怖くなる。
周囲を警戒するようになる。
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なぜ、摂食障害が発症するのか?
摂食障害とは、どんな生きにくさの病気であるのか?
とても納得できることが書いてあります。
続きは、明日。
それでは。
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摂食障害になって、16年になります。
過食嘔吐を繰り返し、28kgまでストーンと体重が落ちました。
これって、やばいかも・・・・・
と思いながらも、どうしていいかわからずに、
ふらふらしながら、摂食障害の本を探しました。
ですが、身体はふらふらだし、本を読もうとしても、字を追うことが大変で。
なんとなく、本のタイトルと目次を見ることを繰り返していました。
最近は、少し栄養状態が改善されたためか?
情報を得ようと必死になっているためか?
よくわかりませんが、本が少しずつ読めるようになってきました。
2週間ほど前、「食べない心と親の心」 という本をたまたま見かけて、購入してみました。
共感できる部分があり、じっくりと読みました。
自分の記録として、書いてみようと思います。
「食べない心と親の心」
摂食障害という病気は、ともするとその人の人生を破壊してしまう。
人生の深い歓び、生き方は、収入や職業で決まるものではない。
しかし、高収入を得られるポジションについた方が、
より大きな幸せを得られるような、そんな幻想を多くの人が抱いてしまう。
親は子の幸せを願い、競争のようにして子の教育に取り組む。
親の期待を担った子どもが、期待に応えようとすると、
延々と努力をし続け、競争に勝ち続けなくてはならない。
しかし、完全に結果が報われることはない。
学歴、習い事、就職、出世、それぞれ最高の結果を出し続けることは不可能である。
妥協するたびに、コンプレックスを抱えることになる。
もう少し頑張れば、幸せになれたのに、目標を達成できなかったという挫折感。
そして、この挫折感を経験した世代が親となった時、さらに厳しい競争へ発展する。
次の世代の子育てで裏返しとなり、
「自分は失敗したが、我が子こそ立派に育てよう」 と。
ここで、いくつものコンプレックスを持ち、自我が欠落した者どうしが、結婚したとする。
これが、追摂食障害の女性を多く生み出している。(2000年以降)
コンプレックスをバネに、自分の二の舞にだけはさせまいという勢いで 子育てにのめり込む。
「あなたにだけは、幸せになってほしい。」
p.38
親の期待を受け過ぎている子どもは、
過程が休まる場所ではなくなってしまう。
子どもをむしばむ場所になってしまう。
親の気持ちにコンプレックスが潜んでいることを読み取っている。
傷ついた時期から発症までの期間があまりにも長いので、
なかなか原因と発症を関連付けることができない。
一見、矛盾する拒食と過食という行為が交互に表れたりするのは、
それが、本人の意思とすると説明ができない。
本能の暴走であるから、本人の意思ではコントロールができない。
摂食障害に陥る女性は、みな真面目です。
完璧でなければ愛されない、と思うことは、
少しの失敗も許せず、自分を追い詰めていく一因になる。
p.88
子どもは、親ではなく、自分を責める。
必ずしも大きなアクシデントが心の傷をつくるとは限らない。
日々の生活の中で、じわりじわり傷ついていく。
子どもを追いつめる 「不幸せ」 な母親。
親は、「娘に関して、何もトラブルはなかった」
「平穏な過程であった」
「原因となるようなことが思い当たらない」 という。
母親の何でもない、普通の行動が、
(不満に思ってたり、ある種の諦めに似た寂しさ)
子どもには、受け入れられないことがある。
子どもは、敏感に感じ取り、自分を責め、否定する。
家族と自在に心の交流を交わした経験を持たない子は、
成人しても、人と深い関係を結ぶことが難しくなる。
同じ家庭で育っても、発症する子、しない子がいる。
これは、感受性の差である。
発症する子は、ナイーブで、過敏に色々な気配や気持ちを感じ取り、あれこれ気を回す。
鋭いと、ちょっとした母親の表情の変化を気にしたり、両親の関係を気にしたりして、
本来する必要のない心配を抱え込む。
p.102
摂食障害は、生きにくさの病気。
孤独。←←← 深い孤独。
空っぽ。
生きている意味もわからない。
こんな虚しさを、ずっと抱え続けてきて、
いつかそれが満たされる日が来ると信じて、大人になった。
しかし、大人になってみると、ますます虚しくなるばかり。
誰にもわかってもらえない。
誰にどう伝えていいかもわからない。
絶望が広がるばかり。
取り返しがつかない人生を生きているという、焦り。
制御できない過食嘔吐に振り回されながら、
なんとか自分の生きる道を探そうとしても、
生きる目的も意味もなかなか見出すことができない。
結果、生きる意欲をなくす。
生活が崩れ、
人格が歪み、
社会から落後していく。
「食べる」 「食べない」 ことに、こだわりのある依存症。
自分の中で処理できない気持ちの逃がし先が、依存する行為。
理性ではコントロールできない衝動。
自覚しにくい無益なこだわり。
生活すべてが、依存とこだわりで成り立っているくらい、
生活に柔軟性がない。
精神的に追い詰められているため、
こだわるものを次々に見つけて自分の周囲を満たすことで安心感を得る。
これが、どこまでいってもつづく・・・・・
いっそう、混乱を極めていく。
ここに、本人の自覚はない。
発症する前からずっと、周囲に気を使い、怒らせないようにしてきた。
精神的には、限界まで疲れ果てている。
なので、認知の歪みが起きてしまっている。
目の前で起きている出来事や、人の気持ちを、正しく受け止めることができない。
事実を歪め、自分が被害者となるストーリーをつくり、それを確かな事実と信じてしまう。
そのため、人間関係をつくるのが怖くなる。
周囲を警戒するようになる。
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なぜ、摂食障害が発症するのか?
摂食障害とは、どんな生きにくさの病気であるのか?
とても納得できることが書いてあります。
続きは、明日。
それでは。
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